他大学院にロンダリングして感じたこと
筆者は、中堅私立大学から、国公立の大学院に入学しました。
それって、一般的にはロンダリングと言われていたり、好ましくないと捉える人も多数おられます。
筆者も、受験当時にはついて行けるのか不安だったし、何よりも他者からの目が気になって、馬鹿にされるのではないかとさえ思っていました。
筆者は、学歴とかはそこまで気にしてない方で、どちらかというと今までも、そこまで偏差値の高い方ではない学校に通ってきました。
対して、今通っているところは比較的偏差値が高いところのようで…。正直、ついて行けるのか、内部生たちにどう思われるのか…と考えていましたね。
では実際どうだったのかと言うと、そもそも筆者が行っている大学院に外部生が入学すること自体稀なようです。私立大学からだとなおさらで、出身大学の話をするたびになんだか居心地悪く感じてしまいます。
内部生の子達は本当に皆良い子で優しい人達なのですが、ふと、「私立でもやりたい勉強を出来ていればそれで良いよね」といったニュアンスの発言がないことに気がつきました。
まあ自分の行っていない場所について、そもそも想像がつかない、というのは当たり前なので、そのこと自体は気にしていないのですが…。
ちょっと、学歴とか国公立であることの誇りがあることに、文化差を感じました。
これは筆者が被害的に考えている可能性が排除できないものの、それでも実際に文化差はあると思います。
例えば、他の偏差値が低いとされる学部を馬鹿にする発言が普通に出てきたり、学歴コンプという言葉が日常的に使われていたり…。筆者の今までの環境とは、全く異なる文化があります。
また、おそらく、私立大学から来た筆者を無意識に下に見ていたりします。
例えば、同じく他大学から来た子でも、その子は国立からきており、よく内部生に褒められていたりします。筆者は、褒められたことはほとんどないですね。…本当に無意識なのだな、と感じます。筆者が無能なだけかもしれませんが、一応入試の筆記テストは筆者が上位に入っていたのですが、それを知っても褒められはしませんでした。他の子を褒めていたのに、ちょっと不自然でしたね。
ちょっと嫌らしい見方になるので、これは読み飛ばしてもらって大丈夫なのですが、「ふーん?」みたいな雰囲気を感じました笑
「で?」みたいな、優劣を決めたがるみたいな感じでしょうか。こういった空気が暗に感じられる時は、びっくりしてしまいます。妄想だと言われればそれまでです。そうかもしれません。読み飛ばしてください。
自分の努力に誇りを抱くことは良いことです。本当に辛く苦しい受験期を乗り越えてきたからこそ、そこに自信と支えがあるのでしょう。
しかし、筆者は、自身が上記のような違和感と動きにくさを感じたからこそ、その文化が自分達にはあるのだ、ということに気がついてほしいと思います。
別に改善もしなくて良いですし、褒めてほしいわけでもありませんが、「無意識に差別的」だなと思ってしまいます。同期の子達は大好きなので、余計に悲しい気持ちになってしまいました。
セラピストは自分の感情を自覚しろ、とよく言われますが、文化に気がつくというのは困難なのでしょう。筆者は、冒険的な環境の変化があったから、目についたのかもしれません。
個人の中で、優劣ではなく、そこにある生き生きとした人間、人間関係を見れる世の中になれば良いですね。
そういった意味で、社会を知らねばならないと、筆者は最近特に考えます。同じ大学から同じ大学院に進学し、今まで学んできた勉強を続けるというのも、連続性があるという意味では重要なことです。しかし、心理に関係ない社会人経験というのが、筆者は本当に重要だと思います。
そこにある対人関係、実際にどのような気持ちになるのかの体験や、心理職の特異性から脱した一般的な社会人としての体験が、豊かな心理職としての基礎となるでしょう。だから、筆者は常々、大学院を卒業したら、心理職以外の職業にも就いてみたいと思うのです。
私達個人は、どこにだっていけるし、何にだってなれるのですから。
「無一物」という言葉を大事に生きていきたいものです。
読んでいただきありがとうございました。今日も一日お疲れ様です🍵