きまぐれすっちーの雑記:臨床心理学メイン

心理系大学院で勉強しています。その中で感じたこと、考えたことなどを気ままに書いております。

集中講義の所見

お久しぶりです、やっとブログを書ける段階にきて嬉しく思います。
というのも、ワクチン二回目を打ったのですが、中々の高熱が出てしまい、ずっと体がだるかったのです。

まあそんなことはさておき、3日間の集中講義の所見を書いていきたいと思います。

この集中講義で筆者が学んだのは、ファンタジーです。

ファンタジーとは、空想のことで、内的現実と理解しています。
ファンタジーは、決してただの妄想ではありません。その人にとっての現実なのです。

講義内容は書けないので、本当に自分の考えたことだけにはなりますが…以上のことを踏まえて読んでください。

空想は、筆者の中にもあります。
集中講義は同期と先生お一人、OBOGの数人で行われました。
そこで筆者の空想を語る機会がありました。

筆者は、雪と桜が降っている、海の見える丘の上には一本の木があり、その木の下で少女が舞っているという空想を話しました。

それは、昔から心にあるもので、けれども誰かに話すということはしてこなかったのです。

先生はこの空想を聞いて、死を連想されました。
それは、そうなのです。
筆者はこの空想の中には、死と生が無秩序に混じり合い、けれども安寧があると感じています。

無秩序と安寧の世界なのです。

そこに気がつかれたことに驚きました。
何様だと怒られるかもしれませんが、自分の空想などというものは、決して誰にも理解されないのではないかという諦めがありました。

もちろん、すべて分かってもらえたわけではありません。
分かってもらえていないところ、汲み取られていないところというのも、勿論存在します。

また、同期の皆とコメントをくれました。
印象に残っているのは、神秘的と表現してくれたこと、自分のイメージカラーに気付いてくれたことです。
とても嬉しく思いました。

また、好きなもの発表で、皆のディープな部分を知ることができました。
好きなものを発表してもらい、そこから読み取れるメッセージ、クライエント像を想像するという感じです。

文字に起こすと陳腐ですが、凄まじい熱量で行われました。
もはや、一種のグループセラピーだったのではないかと思うほどです。

それを許す先生の器量、全力でぶつける同期の絆を筆者は感じました。

また、先生は筆者のことを、読み取り続けている人だ、とお話しされました。

その通りです。
それを伝えるための発表をしました。
そして、味わえと、この楽しさと辛さを味わってほしいという発表をしました。

本当に何様だとお思いでしょうか。
驕っているわけではありません。
ただ、知ってもらいたかったのです。

結果として、やはり全ては知ってもらえなかったようです。
先生の方からシャッターをおろされたかのような瞬間もありました。

ですが、それはそれで良いのです。
下手に言葉を重ねられるより、よっぽど良いんです。

いつか一緒に体験してくれる人が現れれば良いな、とおもいます。