類型論と自分のタイプfrom集中講義
こんにちは。
今日はちょっとした自己分析として行った類型論と自分のタイプについて考えていきます。
類型論はご存じでしょうか。いくつかの典型的なタイプに分類することによって、人物像を捉えようとする理論のことです。
ユング心理学の類型論では、内向的・外向的にパーソナリティを分けています。
個人で学ぶ楽しみがあると思うので詳細な説明は省略しますが、内向・外向の2タイプに加えて、思考ー感情、直感ー感覚の4タイプがあります。
これらのタイプの組み合わせによって、それぞれ特徴が異なります。
ユング心理学の本に基づいた自己判別方法は、ざっくり言うと以下のような感じでした。
まず、内向的か外向的か、ということについては、リラックスしているときに1人でいることを好むか、他者といることを好むかによって判断できます。
次に、思考か感情かということについては、買い物をするときが例として挙げられます。例えば、食材を購入する際に冷蔵庫の中身を考えて購入するか、その時に自分の食べたい物を購入するか、といったように分かれます。
そして、直感か感覚かということについては、直感は未来を、感覚は現在を見ます。買い物の例で言うと、直感は歩いている内に買いたいものがひらめき、感覚は目で見て手で触れたものを購入します。
皆さんはどうでしたか?
筆者は内向的直感思考型です。
なぜ内向的なのかを考えると、筆者は他者といることが得意ではありません。
必ず1人の時間がないと身体も心も参ってしまいます。
また、最も楽しい時間は、自分の考えに思考を巡らせ、ぐるぐると空想に浸っている時間です。そのため、内向的であると考えます。
そして、直感であると考えた理由は、自分は勘で生きているところがあるからです。
なんだかオカルトのようなことを語るようで、大変心苦しいのですが、自分は道を歩いていて嫌な予感を感じることがあります。その嫌な予感は、筆者の心に訴えてくるので、それに従って行動します。
集中講義において先生は、筆者のことを完全に直感タイプであると言っておりました。
そして、ユングも直感タイプであって、時折周囲に理解されないことを口走っていたけれども、自分の手記にまとめていたことで自分の考えを大切にしていた、という旨のことをおっしゃっておりました。
筆者は、つい伝えることを諦めてしまったり、自分の世界に閉じこもってしまいがちになるので、めげずに頑張りたいと思えました。
また、筆者は思考タイプが副機能です。これは、思考によって補う必要があったために感情よりは優位になっているのだろうと考えます。
思考は、周囲に理解されない感覚を、うまく伝えるために、外界に適した合理的な判断へと落とし込むために用いています。
突然、「嫌な予感がしたから帰ってきた」と言っても、「何を言っているのだ」と思われるに違いありません。
しかし、そこに合理的な理由があれば、周囲はそれで納得してくれるのです。
例えば場合にもよりますが、「途中まで行ったんだけど、疲れているのか、気分が悪いんだよね」と言えば、それ以上の言及はないでしょう。
この例は極端ではありますが、思考があることで外界に適応的に生きているのです。
実際、自分の勘を全て鵜呑みにしていたら身体が持ちません。
ある程度は気のせいだと、スキャニングミスだと思って生活した方がまともです。
臨床の現場では、この勘を活かすことができるでしょうが、日常生活ではまともに生活する方に重きを置いた方が無難でしょう。
また、完全に固定されたタイプというわけでもありません。
少なくとも現在はその傾向があるよね、といった曖昧なものです。
筆者がこのタイプであると知ったことで、自己分析が若干容易になったかな、といったものです。
参考程度に留めておくことが良いでしょうね。
実際、自己分析ははかどります。
自分が何を苦手としていて、何を得意としているのか、ということが分かりやすくなります。
皆さんも自己分析に用いてみるのはいかがでしょうか。
そういえば、クレッチマーの類型論で言うと、筆者は分裂気質の副機能は強迫性だそうです。
まあユング心理学の類型論との共通点を考えてみても、妥当なのではないか、と思います。
クレッチマーの類型論については、後日書けたら書こうと思います。
皆さん個人で調べていただいても、自己分析が好きな方は楽しめるのではないでしょうか。
それでは今日はこのへんで。
良い週末を。
ファンタジーを否定すること
引き続いてファンタジーについて考えていました。
今日、同期が自分のファンタジーについて語ってくれた時に、他の同期が否定するということが起きました。
それは、些細な日常の一コマで、とても悲しい気持ちになりました。
ファンタジーを語るというのは、簡単なことではありません。
今朝のブログにも書きましたが、分かってほしいけれど分かってくれるはずがないという諦めを、ファンタジーは包括しています。
繰り返し伝えたいのは、ファンタジーは、その人にとっての現実ということです。
別の人から見れば、例えばあなたから見ればそれはただの妄想かもしれません。
しかし、それを完全に分かることは出来なくても、否定する必要はないはずです。
その現実を否定されたら、生き生きとした内的現実は失われます。
つまり、何が言いたいのかというと、同じ集中講義を受けて、同じ感動を分かち合って、同じ臨床心理士を目指している同士が、馬鹿にしたように仲間の空想を安易に否定したことが、本当に悲しかったのです。
理解できなくてもいいから、せめて否定されたくない。
その気持ちを、どうか知っていてほしいです。
集中講義の所見
お久しぶりです、やっとブログを書ける段階にきて嬉しく思います。
というのも、ワクチン二回目を打ったのですが、中々の高熱が出てしまい、ずっと体がだるかったのです。
まあそんなことはさておき、3日間の集中講義の所見を書いていきたいと思います。
この集中講義で筆者が学んだのは、ファンタジーです。
ファンタジーとは、空想のことで、内的現実と理解しています。
ファンタジーは、決してただの妄想ではありません。その人にとっての現実なのです。
講義内容は書けないので、本当に自分の考えたことだけにはなりますが…以上のことを踏まえて読んでください。
空想は、筆者の中にもあります。
集中講義は同期と先生お一人、OBOGの数人で行われました。
そこで筆者の空想を語る機会がありました。
筆者は、雪と桜が降っている、海の見える丘の上には一本の木があり、その木の下で少女が舞っているという空想を話しました。
それは、昔から心にあるもので、けれども誰かに話すということはしてこなかったのです。
先生はこの空想を聞いて、死を連想されました。
それは、そうなのです。
筆者はこの空想の中には、死と生が無秩序に混じり合い、けれども安寧があると感じています。
無秩序と安寧の世界なのです。
そこに気がつかれたことに驚きました。
何様だと怒られるかもしれませんが、自分の空想などというものは、決して誰にも理解されないのではないかという諦めがありました。
もちろん、すべて分かってもらえたわけではありません。
分かってもらえていないところ、汲み取られていないところというのも、勿論存在します。
また、同期の皆とコメントをくれました。
印象に残っているのは、神秘的と表現してくれたこと、自分のイメージカラーに気付いてくれたことです。
とても嬉しく思いました。
また、好きなもの発表で、皆のディープな部分を知ることができました。
好きなものを発表してもらい、そこから読み取れるメッセージ、クライエント像を想像するという感じです。
文字に起こすと陳腐ですが、凄まじい熱量で行われました。
もはや、一種のグループセラピーだったのではないかと思うほどです。
それを許す先生の器量、全力でぶつける同期の絆を筆者は感じました。
また、先生は筆者のことを、読み取り続けている人だ、とお話しされました。
その通りです。
それを伝えるための発表をしました。
そして、味わえと、この楽しさと辛さを味わってほしいという発表をしました。
本当に何様だとお思いでしょうか。
驕っているわけではありません。
ただ、知ってもらいたかったのです。
結果として、やはり全ては知ってもらえなかったようです。
先生の方からシャッターをおろされたかのような瞬間もありました。
ですが、それはそれで良いのです。
下手に言葉を重ねられるより、よっぽど良いんです。
いつか一緒に体験してくれる人が現れれば良いな、とおもいます。
初めてUVレジンでキーホルダー作ってみた
皆さんこんばんは、今日はいつもの心理系大学院のお話ではなくて、気分転換にやってみたUVレジンクラフトについて体験記を書いていきます!
まず、私がUVレジンというものを知ったのはつい最近で、YOUTUBEによくおすすめとして挙がってきたので、動画を視聴したことがきっかけです
実際にやってみたいと思ったのは、100均で道具が売っているのを見かけたからです笑
アルバイトをする体力がない学生なもので、せっかく低コストでクラフトが出来る時代になったんだから…という気持ちでやってみました
直径3センチほどの小ささで、複数の色が売っていました
私は自分の好きな色3つと、透明なレジンを購入しています
レジンを枠の中に流し込み、UVライトを当てることで硬化させる、という簡単なもので、不器用な筆者でもできました!
UVライトは同じく100均に売っていたものを使用しており、上記写真の後ろの方に見える紫の光がUVライトによるものです
初めの試作品がこちら
緑と水色の液を透明な液で混ぜました
中に入っているのはドライフラワーで、イニシャルはこのブログネームにもなっている、「気まぐれすっちー」のSから取っています
…なかなかよくないですか?笑
実は筆者、かなりの不器用者で、まさか最初から成功するとは思いませんでした
ちなみに、完全に成功というわけではなく、気泡が入ってしまっています
また、どれくらいで固まるのか判断できず、早めに台のシリコン板から取ってしまったために、しわが寄ってしまいました…
ですが、色合い的に水面に見えなくもないですし、気泡はみずみずしさとして考えると、悪くないと開き直りました!
勿論、うまい人から見ればまだまだなのでしょうが、この色合いと周りの枠も気に入っています
思いがけず楽しい趣味となりそうなので、今後も時々やってみたいと思います
練習して、プレゼントにしてみても良いかもしれません
注意点としては、手袋をして作業をしなければならないことです
なにやらアレルギーとかが誘発されうるそうなので、手袋は必ずしてくださいね
また、固まった後の手触りは、樹脂が固まった感じです
琥珀に似ているらしいですが、筆者は琥珀を触ったことがないので分かりません
ガラスのようにはなりませんでしたが、上手な人がやるとなるのかもしれません
可能性が広がって楽しいクラフトですね!
みなさんもぜひやってみてください👍
それでは、また次回お会いしましょう、おやすみなさい
ロールプレイングと巻き込まれ感
ちょっとロールプレイングについて語らせてください。
昨日、ロンダリングについての記載を行いましたが、言語化したことにより見えてきたものがあります。
実は、少し前にロールプレイングを授業の中で行っており、その影響が昨日のブログに見え隠れしていたのではないかと思うのです。
ロールプレイングとは、クライエント役とセラピスト役に生徒がそれぞれなって、実際のカウンセリングのようにインテークを行うことです。
インテークではない場合も多いのですが、筆者の場合はインテークでした。
今回のロールではオブザーバー、つまり観察者です。当日ロールプレイングについての観察を言い合い、そこで終わっていたはずでした。
筆者は、一晩経って気付いたことなのですが、昨日ブログ内でロンダリングについて語っていた際に、迫害不安を感じていました。
もちろん、昨日記載したことについて嘘偽りはありませんが、普通に日常生活を送っている中で、筆者は昨日語ったようなことをそこまで気にしていませんでした。
それこそ、ブログに書こうだなんて思いもしなかったはずです。
書き終わって翌日になった今、あの迫害不安がどこからきたものなのか考える必要がありました。
そしてそれによって、ロールプレイングに対する反応だったという可能性に気付いたのです。
しかし、あのクライエントロールでは、迫害不安について語りとして言及されていなかったはずです。
筆者の不安は、クライエントロールのどこに反応したのでしょうか。
そう考えると、クライエントロールの節々に見られた、クライエントの本当の主訴に関係していたことに気がつきました。
つまり、主訴の裏にある主訴ということで、クライエントは迫害不安を感じていたが抑圧していたということを、感じ取っていた可能性があるのです。
これが、巻き込まれ感なのだと思います。
クライエントの言語化されなかった迫害不安が、筆者の日常生活に影響を及ぼしてきました。
先日、本来、大学に来ない曜日のはずのクライエントロールをした同期が、家が遠く、たいした用事もないのに来ていたことがあります。
あれは、クライエントロールをした同期の中にある迫害不安が、ロールによって喚起されたと考えることもできるでしょう。推測ですが。
もしかするとロールについて語りたかったのかもしれません。
適当なことばかり言っていますが、自分の体験から見立てを立てるとしたら、筆者はそう考えます。
巻き込まれたことに気がつけたこと、自分が何に反応していたのか気づけたことが、ブログを書いたことに由来しています。
ここまで、読んでいただいてありがとうございます。
筆者はブログを続けたいと思いました。
それでは、今日はここまでにしておきます。
よい週末を!
他大学院にロンダリングして感じたこと
筆者は、中堅私立大学から、国公立の大学院に入学しました。
それって、一般的にはロンダリングと言われていたり、好ましくないと捉える人も多数おられます。
筆者も、受験当時にはついて行けるのか不安だったし、何よりも他者からの目が気になって、馬鹿にされるのではないかとさえ思っていました。
筆者は、学歴とかはそこまで気にしてない方で、どちらかというと今までも、そこまで偏差値の高い方ではない学校に通ってきました。
対して、今通っているところは比較的偏差値が高いところのようで…。正直、ついて行けるのか、内部生たちにどう思われるのか…と考えていましたね。
では実際どうだったのかと言うと、そもそも筆者が行っている大学院に外部生が入学すること自体稀なようです。私立大学からだとなおさらで、出身大学の話をするたびになんだか居心地悪く感じてしまいます。
内部生の子達は本当に皆良い子で優しい人達なのですが、ふと、「私立でもやりたい勉強を出来ていればそれで良いよね」といったニュアンスの発言がないことに気がつきました。
まあ自分の行っていない場所について、そもそも想像がつかない、というのは当たり前なので、そのこと自体は気にしていないのですが…。
ちょっと、学歴とか国公立であることの誇りがあることに、文化差を感じました。
これは筆者が被害的に考えている可能性が排除できないものの、それでも実際に文化差はあると思います。
例えば、他の偏差値が低いとされる学部を馬鹿にする発言が普通に出てきたり、学歴コンプという言葉が日常的に使われていたり…。筆者の今までの環境とは、全く異なる文化があります。
また、おそらく、私立大学から来た筆者を無意識に下に見ていたりします。
例えば、同じく他大学から来た子でも、その子は国立からきており、よく内部生に褒められていたりします。筆者は、褒められたことはほとんどないですね。…本当に無意識なのだな、と感じます。筆者が無能なだけかもしれませんが、一応入試の筆記テストは筆者が上位に入っていたのですが、それを知っても褒められはしませんでした。他の子を褒めていたのに、ちょっと不自然でしたね。
ちょっと嫌らしい見方になるので、これは読み飛ばしてもらって大丈夫なのですが、「ふーん?」みたいな雰囲気を感じました笑
「で?」みたいな、優劣を決めたがるみたいな感じでしょうか。こういった空気が暗に感じられる時は、びっくりしてしまいます。妄想だと言われればそれまでです。そうかもしれません。読み飛ばしてください。
自分の努力に誇りを抱くことは良いことです。本当に辛く苦しい受験期を乗り越えてきたからこそ、そこに自信と支えがあるのでしょう。
しかし、筆者は、自身が上記のような違和感と動きにくさを感じたからこそ、その文化が自分達にはあるのだ、ということに気がついてほしいと思います。
別に改善もしなくて良いですし、褒めてほしいわけでもありませんが、「無意識に差別的」だなと思ってしまいます。同期の子達は大好きなので、余計に悲しい気持ちになってしまいました。
セラピストは自分の感情を自覚しろ、とよく言われますが、文化に気がつくというのは困難なのでしょう。筆者は、冒険的な環境の変化があったから、目についたのかもしれません。
個人の中で、優劣ではなく、そこにある生き生きとした人間、人間関係を見れる世の中になれば良いですね。
そういった意味で、社会を知らねばならないと、筆者は最近特に考えます。同じ大学から同じ大学院に進学し、今まで学んできた勉強を続けるというのも、連続性があるという意味では重要なことです。しかし、心理に関係ない社会人経験というのが、筆者は本当に重要だと思います。
そこにある対人関係、実際にどのような気持ちになるのかの体験や、心理職の特異性から脱した一般的な社会人としての体験が、豊かな心理職としての基礎となるでしょう。だから、筆者は常々、大学院を卒業したら、心理職以外の職業にも就いてみたいと思うのです。
私達個人は、どこにだっていけるし、何にだってなれるのですから。
「無一物」という言葉を大事に生きていきたいものです。
読んでいただきありがとうございました。今日も一日お疲れ様です🍵
大学院ってこんな感じ
こんばんは、心理系大学院に通っている筆者です。
心理系大学院に通い始めて、四カ月くらい経ちました。どれくらい忙しいのか、とかを書いていきます。
筆者はかなり忙しいなと感じながら、毎日を過ごしていますね…
筆者は大学院まで一時間半かかるので、早寝早起きがキツいです。
何故なら、早く帰れないんですよね
心理面接施設が大学院に付属であるため、院生はそこで事務の経験を積ませてもらっています。
締め作業まで入らないと行けないときがあり、その日は帰りが10時とかになってしまいます。
もちろん給料はでません、悲しいことに。
悲しいというか、実習みたいな意味合いなので当たり前ではあります。
でも出てくれたら、バイトをしなくとも学業に専念できるのになぁと、日本の学業に対する意識の低さを恨んでおります笑
課題は毎日出るので、特別講義が重なった週などは、同期の顔が死んでいますね
筆者はアルバイトする時間が家庭の事情でないので、課題する時間は比較的ある方です
講義は面白いし、好奇心は満たされます
実際のアセスメントとかにも触れられ、心理職に現実味が出てきます
その分、自分に出来るのかというプレッシャーと、卒業後、給与的な問題でやっていけるのかという不安があります
あとは、心という目に見えない理論についてしか、今は勉強していないので、実学、目に見える勉強がしたくなります笑
根性試されてるなぁ…という感じです
夜に徒然なるまま書いたので、日記みたいな感じになりました
それでは、おやすみなさいませ🌃