ファンタジーを否定すること
引き続いてファンタジーについて考えていました。
今日、同期が自分のファンタジーについて語ってくれた時に、他の同期が否定するということが起きました。
それは、些細な日常の一コマで、とても悲しい気持ちになりました。
ファンタジーを語るというのは、簡単なことではありません。
今朝のブログにも書きましたが、分かってほしいけれど分かってくれるはずがないという諦めを、ファンタジーは包括しています。
繰り返し伝えたいのは、ファンタジーは、その人にとっての現実ということです。
別の人から見れば、例えばあなたから見ればそれはただの妄想かもしれません。
しかし、それを完全に分かることは出来なくても、否定する必要はないはずです。
その現実を否定されたら、生き生きとした内的現実は失われます。
つまり、何が言いたいのかというと、同じ集中講義を受けて、同じ感動を分かち合って、同じ臨床心理士を目指している同士が、馬鹿にしたように仲間の空想を安易に否定したことが、本当に悲しかったのです。
理解できなくてもいいから、せめて否定されたくない。
その気持ちを、どうか知っていてほしいです。