ロールプレイングと巻き込まれ感
ちょっとロールプレイングについて語らせてください。
昨日、ロンダリングについての記載を行いましたが、言語化したことにより見えてきたものがあります。
実は、少し前にロールプレイングを授業の中で行っており、その影響が昨日のブログに見え隠れしていたのではないかと思うのです。
ロールプレイングとは、クライエント役とセラピスト役に生徒がそれぞれなって、実際のカウンセリングのようにインテークを行うことです。
インテークではない場合も多いのですが、筆者の場合はインテークでした。
今回のロールではオブザーバー、つまり観察者です。当日ロールプレイングについての観察を言い合い、そこで終わっていたはずでした。
筆者は、一晩経って気付いたことなのですが、昨日ブログ内でロンダリングについて語っていた際に、迫害不安を感じていました。
もちろん、昨日記載したことについて嘘偽りはありませんが、普通に日常生活を送っている中で、筆者は昨日語ったようなことをそこまで気にしていませんでした。
それこそ、ブログに書こうだなんて思いもしなかったはずです。
書き終わって翌日になった今、あの迫害不安がどこからきたものなのか考える必要がありました。
そしてそれによって、ロールプレイングに対する反応だったという可能性に気付いたのです。
しかし、あのクライエントロールでは、迫害不安について語りとして言及されていなかったはずです。
筆者の不安は、クライエントロールのどこに反応したのでしょうか。
そう考えると、クライエントロールの節々に見られた、クライエントの本当の主訴に関係していたことに気がつきました。
つまり、主訴の裏にある主訴ということで、クライエントは迫害不安を感じていたが抑圧していたということを、感じ取っていた可能性があるのです。
これが、巻き込まれ感なのだと思います。
クライエントの言語化されなかった迫害不安が、筆者の日常生活に影響を及ぼしてきました。
先日、本来、大学に来ない曜日のはずのクライエントロールをした同期が、家が遠く、たいした用事もないのに来ていたことがあります。
あれは、クライエントロールをした同期の中にある迫害不安が、ロールによって喚起されたと考えることもできるでしょう。推測ですが。
もしかするとロールについて語りたかったのかもしれません。
適当なことばかり言っていますが、自分の体験から見立てを立てるとしたら、筆者はそう考えます。
巻き込まれたことに気がつけたこと、自分が何に反応していたのか気づけたことが、ブログを書いたことに由来しています。
ここまで、読んでいただいてありがとうございます。
筆者はブログを続けたいと思いました。
それでは、今日はここまでにしておきます。
よい週末を!